nakabisyakun’s blog

理系大学院生のブログ。専門は電気化学。

男・金井恒太の美学をもう一度。

  

         第三回叡王戦、タイトル戦に昇格してからはじめての叡王戦が、終局してから三週間がたった。お互いにタイトル戦に出場したことのない、金井六段、高見六段によるフレッシュな七番勝負は、思いもよらないワンサイドゲームに終わった。無論、両対局者にそれほどの実力差があったとは思わない。お互いにC級棋士で、目立った実績は存在しなかった。だが、彼らが本戦で倒してきた相手は、佐藤名人や渡辺棋王をはじめとした名だたる名棋士であった。彼らをなぎ倒し、ジャイアントキリングを成し遂げてきた2人の若武者が、2000万と初の玉座を奪い合うといった構図となった。これでわくわくしない将棋ファンなど、はたしているのだろうか。新たなヒーローが生まれるのだ。

  しかし、前述の通り、高見六段に勝利の女神は微笑み、彼の下にきれいに白星は集まった。丸4つ。それで終わった。終わってしまった。

  ついこないだ、柚月裕子女史による観戦記が公開された。「名勝負は人によって」というタイトルだ。きっとお読みになった方も多いと思う。確かに名勝負ではあった。心を動かされた。第四局の終局後、金井六段のインタビューを見て涙をさめざめと流した人もきっと多かっただろう。私もそうだった。「子どもの頃からの夢だった」と語ったタイトル獲得がふいになってから、そう、子どもの頃からの夢が破れた直後に、あのような紳士な姿勢を見せられる人がどれだけいるのだろうか。

  だが、今振り返ってみて、第三回叡王戦は名勝負とは言えても、果たしてあの四局は名局とはいえただろうか。否、断じてそんなことはないだろう。正直に言えば、同じ映画を何度も見せられた気分となってしまった。金井有利と言われながらも、時間が無くなり、終盤にミスが出て逆転。いつも犯人が崖に追い詰められるような、おきまりの2時間ドラマのようなものだった。

  こんなこと、素人ブロガーが指摘しなくても、誰よりも本人がわかっているのだろう。羽海野チカ作大人気将棋漫画、「3月のライオン」に、タイトル戦に負けて壁を蹴り壊す棋士が描かれていた。史実でも、負けて悔しくて将棋会館の窓から放尿しようとしたり、全裸でホテル内を疾走した棋士がいた(すごい世界だ)。おそらく、彼はとてつもない悔しさを抱きしめて日々を過ごしているのだろう。

      叡王戦第四局の棋譜コメントに、金井恒太は高見叡王に終局後ビールを注いだとあった。思わず涙がこぼれた(なんと涙もろいことだ)。大一番に敗れた者がその勝者にビールを注ぐ、これはすさまじいことだ。きっと将棋を指した人はわかると思うが、目の前に自分を負かした相手がいて、ニコニコしていたら、本当に腸が煮えくり返るといった表現がしっくりきてしまうものだ。

  その棋譜コメントで、彼は彼の美学に殉じたと書かれていた。確かにその通りだと思う。金井恒太はその紳士な態度を0勝4敗でも貫き通した。ただ、その美学は強くなければ通用しないのだ。彼がタイトル戦に出場できたから、その美学を天下に示せたのだ。

  叡王戦のPVで、彼は20代で実績を残せなかったと語った。確かにそうかもしれない。ただ、遅咲きの棋士などいくらでもいるのではなかろうか。彼が準決勝で負かした相手は、30過ぎてからタイトル戦に出始めたのではなかろうか。

  ただの1ファンとして、彼にもう一度大舞台に出てほしいと思っている。正直、タイトル戦に出なければ、金井六段は秒読みで頭を抱えることなどなかったのではないか。きっと、あの経験は彼を一回り強くしたと堅く信じている。出来れば、もう一度かれの美学を見せてほしい。今度は笑顔として。